2008年3月16日日曜日

中村富子さん 奇跡の人 四股を失った母 「中村久子」の人生を語る

皆さん こんにちは!

今日は、「あるあるある」と題して、今日(3月16日)にホテルはまつで
福島県倫理法人会の女性委員会の主催で開催された中村久子女史の次女である中村富子さんのお話を聞いてきました。



中村久子さんは、明治30年に岐阜県高山で生まれた方で、3歳の時に足の霜焼けがもとで左足が紫色に変色し、突発性脱疽と宣告され、その後左手首がもげ落ち、病院に運ばれ四肢を切断されてしまう。父や母や祖母祖父の暖かい
愛情を受けて、言葉にできない苦労と努力を重ね、かのヘレンケラーが私よりも偉大な人と言わしめた、明治・大正・昭和の清冽な人生を歩まれたです。


その中村久子さんを母に持つ中村富子さんは、お母さんへの念いを強く感じさせる語り口で淡々とお話されました。手も足もないハンデを背負っていながら、自分のことは自分で全てできた。裁縫をしながら、学校へ行かせてくれたお母さんへの感謝と尊敬の思いがジーンを伝わってくる胸をうつお話でした。


「厳しい母」「責任を果たせる人になって当たり前」「自分の意志で生きなさい」「歎異抄のこと」沢山のことをお話されました。


講演資料の中に「心の眼」「生かされている」「無我の愛」「歎異抄との出会い」「非母観音像」と題していろいろ書かれていますが、言葉を失ってしますほどの内容です。

講演の最後に、「ないないない」という生き方をしないで、「あるあるある」と感謝して生きる生き方を教えてくれた母に感謝しますと言われました。


我々本当に恵まれた中で生きているのに、「あれも足りない。これもない。」と不満ばかり抱いて暮らしています。今日からは、あるあるあると生きてみようと思いました。

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